会社の人はわたしはいつも笑顔だという。お客様にもいつも笑顔で接してる。うちに帰ればダーリンが君はいつも不機嫌そうだという。子供が小さい時から、結構しかめっ面のお母さんだったかもしれないと思う。
わたしが笑うと家族みんながなんだかほっとしてるような、笑いが伝染していくような感じになるな~と思う。 不機嫌よりはご機嫌なほうが自分自身も気分が良くて(当たり前だけど)不機嫌に当たられた家族はかわいそうだと、反省する。ごめんよ~。 スーパームーン、金環日食なんて月の異変(?)があるときは安定的でない私。気分のムラがひどい。今回は瞑想少しずつしてるけど雑念多すぎて、なかなか上手くいかなかった。 激動の2012年が始まって世間はこの世の終わり説がでたり、ここのところオーストラリアも急激に不景気じみてきてあちこちで人員カットのニュースがにぎわう。 うちにも静かに変動が起きていて、当たり前だけど息子は自分で起きて大学に行き、お金も含めて全てを自分で管理するようになった。アルバイトも学校も送り迎えは要らないし、自分でマネージしてくれる。お。大人になったじゃん? 娘は起こさないといけないけど、前のスクールホリディに履歴書を12枚ショッピングセンターで配ってきて、それがようやく実を結び、量販店でのアルバイトをGETしてきた。来週から娘もアルバイトを始める。もうすぐ16歳で16歳になったら自給が上がるそう。 私たちから何も言ってないけど履歴書を自分で作ってダーリンにチェックしもらって、配りに行ったときは驚いたけど、面接も一人で行って、オリエンテーションも行って、ロスターも考えて、もう、感動の域。あの小さかった娘の急成長に驚きと嬉しさが混じる。 この10年は子育てにまい進したけど、これからの10年は子離れの10年になりそうだ。 子供中心から自分中心に動き始めたからご機嫌なのかな~・ だとしたら不機嫌に子供中心にしてたことになるな。それって子供かわいそうだな。私の子供でかわいそうだなと思うこともあるけど、母の日に『ママが一番。大好きありがとう』なんて言われると私の子供でいてくれてありがとうとつくづく思う。子はかすがい。。 怠け者の私ががんばりやさんと言われるようになったのはきっとこの子育てのおかげだと思う。もともと、小中学校のころから成績表に頑張り屋さんと書かれてたけど、自分はがんばった意識がなくて。がんばれないほうばかり見てるから、自分はたいそう怠け者と思っていて、ほおっておくと怠けるので忙しくしてただけなんだけど。 昔から若いのに落ち着いてるね、なんて見せかけの落ち着きはあったけど、あわてんぼうのおっちょこちょいのサザエを地で行く私は、落ち着いた人にあこがれているだけで、一向に見せかけの落ち着きだけ。 でも、落ち着いているとほんと落ち着いて、うきうきするってことがないかもなと思う。浮かない。。それもよしだけど、浮きたい時は浮こうと思う。 浮くとご機嫌になる気がするから。
私の母が9年ぶりにメルボルンにきます。
明日は私たちの結婚記念日ですが母が妹と子供たちと来るのでどうやら準備の日になりそうです。 せっかくはるばる来るのにフルタイムで仕事をする妹はゴールデンウィークの1週間しか休みが取れず、5泊するだけです。スイス人の夫とともに19年過ごしてきましたが、彼と結婚してから休暇といえば最低4週間。日本で生活中はオーバータイムを休みでもらって4週間ヨーロッパと2週間はアジアの諸国へ旅行と贅沢に休みを頂いていました。オーストラリアに来てからも日本や、スイス、スイスに行くときのはどこかのアジアの国で4-5日を過ごしたり。オーストラリアのどこかへキャンプとか旅行とか。1週間しか休みがないと言う状況とは程遠いところにいます。 休みが長い分使うお金も多くなるのは必須ですのでオーストラリア内ではいいホテルなんぞは滅多に泊まらず、 もっぱらキャンプ。ゴージャスホテルで2-3泊より2-3週間ホリディのほうが贅沢と思えます。 そんなこと言うと日本にいる知人友人に”仕方ないじゃないか!こっちは日本人なんだから”と怒鳴られそうですが、国際結婚した強みでもあれば、違うカルチャーで言葉で苦労してる分の代償でもあるかもしれないと思います。これが、運命?いえ、これはお与え。神様?からのお与。よくも悪くも。と。 私の母はよく、このお与えという言葉を使います。 働くお与えをもらったと思って喜んで働いてるとよく言います。休むことが下手な人です。まるでマグロのように止まっていることができない人です。 もう75歳になりましたが、まだまだ畑仕事や家事、妹の子供たちの世話など本当に良く働きます。こういう人は何もしなくてもいいよと言われることが苦痛なのだと思います。 私もよく知人友人に良く働くと褒められたり、同情されたりしています。 でも私は休むこと大好きでほおっておくとだらだらするのも大得意です。なので色々用事を入れて忙しくしたほうがだらだらしてしまったという罪悪感がないのです。 私にも色々なお与えがあります。料理するお与え、掃除をするお与え、子供を育てるお与え、夫を思いやるお与え。外で働くお与え。友達と遊ぶお与え。そして何かしら苦労することもあるお与え。そしてそのご褒美にゆっくり休むお与え。粛々と毎日を生きていると生きるお与えがあることにも気がつきます。 そうして出来る事が増えたり、できたことに満足したりして、幸せを感じ、できないことや、無いものを観て不満に思うのです。そういうことを感じて、勉強するお与えがあるのはありがたいことです。 母はきっと、”またメルボルンに行くお与えが有った”と来ることでしょう。。
思考は現実化するというか、デジャブーというか。。あれ、そんなこと、前考えてたな~というのが現実になるときってたまにある。
スイス人との結婚ももともとスイスに行くのが遠い昔、小学生の時の夢だったのがどこか心の奥にあったからのような気がする。もちろんそれが理由ではないし付き合ってときはそんなこと思いもしなかったけど。 子供が授かる前に、準備ができて、山本さんという人のお墓に行った夢をみた。(生まれ変わり?どの山本さん?)そのときは妊娠しなかたっけどその夢で、私は子供が欲しいと思ってることに気がついた。 その数ヵ月後妊娠した。 自転車やハワイ旅行が当たったときは、なんとなく何かが当たる予感がしてた。(その催しにおいて) 高校生のとき銀行って3時に終わるんだ~良いなあ~と思ったら銀行員になれた。けど、実世界は全く違って苦労の連続。残業しない日はなかった。。 結婚する前、オーストラリアに住んでみたいと思ってた。それから何回もここにきてあんまり魅力を感じなくなったけど、結局すむ羽目になった。 すむ羽目になったなんて思ってるから、ちょっと最初は苦労した。でもいい人にめぐり合えていろんなご縁に助けられて幸せと思ってたら幸せだった。 周りに感謝しているときは幸せ感がいっぱいで、周りに対して怒ったりないものを見てるときはそうでもなかった。けど。この現状を幸せでないと思うなんて許されないと自分に語るとますますしっくりこなかった。 なんか違う。どこか違う。見てる場所が。感じてるものが。。 人生には波があってなんでもない日常がとても幸せに思えるときと、そうでない時。でもどっちも間違ってなくて、どっちも自分。 ご縁や人に感謝している自分は好きで、嫌いな人を心の中で攻撃している自分は好きじゃない。そういう思いにさせるその人がもっと嫌だったり。 でも、会わなくなればいいのになんて思ったりすると、いなくなって欲しくない人がいなくなってゆく。引っ越したり帰国したり。。。それでわずらわしいのはいつもいる。 わずらわしい人がいるだけで思い出して怒るなんて、人間小さくて、いかん。ホルモンのなせる業かとも思うけど。怒りの元をただせばきっと、どおって事ないことなんだろうと思う。 仮にその人たちがいなくなってもきっと、他のことに腹を立て始める危険性もある。そう、つまりはその人たちは変えられないし自分が変わるしかない。嫌な気持ちを捨てるしか。。。 右往左往しながら、自分に焦点をあてていたら、そうか、やっぱり欲しいものは手に入ってる。(マテリアルやお金じゃなくて) 神様なら神様が、潜在意識なら意識が、宇宙なら宇宙が、私の思考と誰かの思考が上手く合うときに、会わせてくれる人がいて、勉強しなさいというときはそういう人が現れたり、事が起こるだなあ~。 とますます実感するこのごろ。 良い思考をもっていたいねぇ~。
最近、大きな51インチのTVを買いました。夫念願の。
わたしはほとんどTVを見ないのでそんなものは要らないとかたくなに反対していましたが来年にはデジタル化されるし、まあいいっか~と。 購入後、ほぼ毎日映画を見る夫。 今日はマット デイモンがでてました。 うちのダーリンは昔のジャック ニコルソンとかに全然似てないけど、なんとなく似てる(眉毛とかが) それを言ってもあんまり嬉しそうじゃないんですが、ああマットの髪型が似てるかもと思って、あなたってマットに似てるわね。とヨイショしたらまんざらでもなさそうにニタニタしてました(そのニタニタがジャックニコルソンだわ) で 調子にのって、あなたに会ったことのない人が私の夫はどんなルックス?ってきいたら マット デイモンって自慢するわね。って言ってあげて、あなたは私のこと聞かれたらどういうの?って聞いたら間髪入れずにゴジラ ガオーって入ったら、いや、カンフーパンダって・・・・・。 職場では若い同僚に 松阪慶子とか、熊谷まみとか、言わせているのに。ふん!!
ぞろ目の日。そして今日は満月。St. Martin's Day そして義父の誕生日。
満月の日は色々なことが明らかになるという。。 ここのところダーリンと口をきかない喧嘩して。今回は最長記録で3日間。 いやー、超些細なことが発端で、犬も喰わない夫婦喧嘩とはこのことだけど。 あんまり些細すぎて書くことも憚られるほど。 でもそんな些細なことで3日間も口きかないなんて、お互い、我慢してたのが限界だったのだなぁきっと。腹たって仕方ないし、絶対自分からは謝らない!!って決心してたけど。 まあ、喧嘩両成敗で、半分は自分に非があるのもわかってたし。 半分以上は奴が悪いと思ったけど。 口きかないと、ウザイことも私が切れることもきかなくてよくて、結構いいんだけど。 ちょっと、彼が傷ついてしまったかと思った瞬間。後悔の念が沸々と。私は怒りでいっぱいで全然傷なんてついてないけど。 口きかないのも努力が要るし。もうやーめた!って。折れました。 ごめんね、(と本心思ってなくても)と折れられる私は偉い!! 満月の日に明らかになったのはやっぱり、ダーリン愛してるわ(うわ言い過ぎ)ってこと。かな。 とても大切な人でしたので、大切にしていこうと思ったぞろ目の決心。
人は亡くなって尚、その命の儚さ尊さを教えてくれる。
癌のカミングアウトにOfficeにやってきた知人が亡くなった。余生3~4ヶ月と聞いてからたった3ヶ月だった。 お世話になった皆さんに、店のお客さんにも挨拶をしていると仰っていた。癌が見つかった時点でステージ4.末期である。自分自身がそれを受け入れるためにもみんなに報告をされていたのだろう。人は皆、それぞれの死生観があるが、生と死を見つめての3ヶ月だったに違いない。 葬式に参列した。神は無情にも現実を見つめさせてくれる。倒れそうな奥さんと固まった息子。おそらく心をどう静めていいかわからない天真爛漫な娘さん。切なく、悲しい現実が遺体とともにそこにあった。 激痩せした遺体は癌に無情に痛めつけられたことを見せつける。 月曜の未明に奇しくも立ちくらみで意識を失って倒れ背中を思いっきり打って。立って歩けず、這いながら寝室にもどり、なんともじっとりとした冷や汗をかいて、『あれ、なんか、やばい』と思ったが、水を飲んで、薬を飲んで大事には至らなかった。ジンジンする痛みを背中に感じながらベッドにたどり着いた。真っ暗で見えない部屋で眼を見開いて天井を見ながら、今は故人となられた方の痛みをふっと思った。 それから9時間後には彼は亡くなった。 悪夢のような激痛の日々だったに違いない。遺していく奥さんとお子さんたちのことを思えば死んでも死に切れない気持ちだったのではと思う。あるいはこの世の無常さを受け入れて、達観されていたかも知れない。 いい人ほど神に愛され召されていくというが、痛みから開放されて安らかに旅立ってほしいと願う。 現実は時として無情であるが世の中は無常で、流れる水のようにとどまることはないし、多分とどまってはいけないのだと思う。 遺されたご家族が進んでいけるよう、守っていてあげてほしい。 彼を送った言葉はありがとうとさようなら。 合掌
ハニーちゃん、もうすぐ15歳。日本語に拙さが残るので彼女と日本語で話すと、いったいこの子はいくつ?と思うほど。
いつもクラスで一番おちびさんで、2歳で10キロ、3歳で12キロ 4歳で16キロ。位だったと思う。 ずーっと20キロ~36キロだった小学生時代。中3になってやっと40キロを超えた。あたしなんて小学6年生のときに41キロだったよ。よく覚えてる。中1で153㎝になって中3で157㎝で身長は止まった。 そんなハニーちゃんのスキニージーンズを洗濯物の中からたたむ時、その細さに改めて驚く。20年ほど前に友達の彼氏から、Sonnenちゃんの肩から足が出てたと言わしめたほど、いかつい肩と太い二の腕の持ち主だけど、ほんと、ハニーちゃんのスキニージーンズには私の腕が通るくらい。 たくましい大根足で、どかっとした身体を支える私と対照的に細い娘。それもそのはず、最近ぐーんと身長が伸びてきた。せめて150㎝を超えてくれるといいなあと思っていたけど。去年の暮れには150センチを超えて大喜びしたけど。なんと今や、155㎝になった。私は縮んだのか今は156㎝。そう、ほとんど身長は同じ!顔の大きさや足の長さや手の長さと違う所は多いけど。 いや~嬉しいですね。あんな、小人のようだった娘が大きくなると。このまま、もう少し伸びるといいな、と欲が出る。 でも、まだまだお色気はゼロで、へいきで裸でシャワーから出てくるし。この間も尾てい骨を強打してダディにお尻をみて~っと頼む始末。おいおい。ダディのほうが困ってるって~の。 この年頃になると、男親なんて汚いとか無碍にされがちというけど、今でもダディにはべったり。 いつかは成長しちゃうのはこの10年を見ても明らかなので、せかさず、ゆっくり大人になってほしいと思う。おませさんはおませさんでたくましくていいなと思うけど。ま、うちの子は二人とも晩生なんですな。それはそれで良しとする。だってどうしようもないもん。 あたくしはあたくしで最近、写経を始めて。落ち着きを取り戻すべく。横の成長を止めてね、心の成長を続けたい。できれば。 ![]() ![]()
変なタイトルつけると、Hなトラックバックいっぱいきちゃうかな。
胃カメラ、生まれて初めて飲んできました。 胃カメラを飲む6時間前から一切の飲食はできません。咳をよくするのでなにか喉にひっかかっても水も飲めないと思うとちょっと緊張。 遠足の前みたいに気持ちが高ぶって益々寝られません。こちらは全身麻酔なので問診表みたいなのと、麻酔の事故についての説明が送られてきてたので、同意のサインしました。いやだったけど。 僕ちゃんが1歳2ヶ月の時にたまたまいたメルボルンで救急車にのってロイヤルチルドレンホスピタルに入り、この全身麻酔のサインをさせらたのを思い出したしたりして。 小さい時は病院通いの多かった僕ちゃんが健康に大きくなったことを改めてありがたいと思いました。 朝7時45分の予約でよかったわ~~とさっさと歯磨きしてシャワーして、すっぴんにめがねで行ってきました。 ドクターに会うまでに二人のナースの問診と、説明をうけて、いざベッドに横たわると今が一番痛いからね、と手の甲にブスっと注射の針を入れられて麻酔液が入り始めて。これを口に挟んでね、すぐ終わるからと一人のナースが手をにぎってくれたのは覚えてる。 起きて起きて~~と起こされて起きたのは9時15分ごろ?はい、もう終わり!と歩かされて大部屋でリクライニングの効いたいすで寝かせられ、また暫くうとうとしました。 胃が痛くてこうなったけどナースにコーヒーか紅茶のみますかときかれコーヒーを頂きました。ビスケットと一緒に。ふーん、コーヒーねぇ。と思っていると、違うナースが代わる代わる様子を見に来てくれて、明日まで運転はしてはいけません。お酒も飲んではいけません。重要な書類にサインをしてはいけませんと言う注意事項の説明を受けました。 10時過ぎには家に戻ってリラックス。せっかく休みを取ったので買い物にも行きたいし、色々しようと思ったけど。いつも午前中に済ます家事を一日かけてゆっくりやって昼寝してののんびりの日になりました。お昼ね3時間くらいしてちょっとびっくり。。 こんなのんびり生活だったら胃も痛くならないかもね。 七夕の今日は小雨の降るとおーっても寒いメルボルンでした。勿論☆星☆も見えずじまいでした。
メルボルンの6月は日本で言えば10月にあたる。晩秋である。なので本来11月の晩秋に使う小春日和がまさに、ぴったりの今日のメルボルンの快晴。日差しが窓から入り込むと、ああ気持ちいい~。
と、窓をみてたら、くもの巣が~~~。掃除日和だねぇ。 今日のチューリッヒの気温は16度らしい。初夏である。6月にスイスに里帰りすると山へ登れば勿論寒いし、夕方日が沈むとても寒かった。因みにメルボルンの最高気温も16度。とても暖かい。 お天気に左右される感情もなんとも頼りがいがないが、快晴の下、庭仕事をすることの気持ちがいいこと!天気ひとつでノーテンキになれるのは幸せなことかもしれない。 ウォーキングを共にするSueと、普段は忘れていたり、気にしないようにしていたことが、生理前などのホルモンの流れが変わると、急に思い出してイライラしたり、ハラたって仕方なかったりするねぇ~。と言う話なった。ほんとほんと、まさに実感の日々だよ。 人との付き合いは鏡を見てるようなものだとはよく言ったもので、自分の厄介な感情は自分の体調や状況に左右されるものだ。ほんと、お天気やさんとはこのこと。この先、やってくる更年期を思えば、いいレッスンなのかもしれない。 全く人間というのは感情もふくめて、この地球の森羅万象とよくにているなぁ~と。いや、人間も地球の一員なんだから、何も不思議はないかもなぁ~なんて思う。 快晴の日々ばかりではやっていけないようになってる地球。晴れたら水蒸気が上がり曇って、雨が降る。人間の感情も一つではない所に面白みがある。 チリの火山灰の影響でオーストラリアの空が混乱している。 火山が怒りかどうかは分からないが、怒りのエネルギーは強い。 一朝の怒りにその身を忘る とならぬよう、瞑想、瞑想!
ダライ・ラマ法王が、メルボルンにいらしていたのはロングウィークエンドのあった週。勿論、講演に行くことも叶わなかったわけだが。
ふとネットから ・自分にとって敵だと思っている相手は実は忍耐力、相手を哀れむ心を鍛えるための最良の先生であり感謝すらするべきであるということ。 ・もし怒りの感情をもってしまったとしても、深く呼吸することに集中し平静さを取り戻すこと。そうすることで怒りのエネルギーはどこかに消え て行くということ。 (Go 豪メルボルンより) という教えがあったと垣間見ると唸ってしまう。 まさに、断捨離で切りたい縁も 心を鍛えるためにあったのか。。人生は深い。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったもので 下衆な人と付き合うとその周りの人たちまで疎く思えるし、腹立たしいし、一緒にされたくないと思うが、自分もその袈裟になっていると他の人から見られることもあろうかと思うと、ここが勉強のしどころなのだろう。身の振り方を考える良い機会なのかもしれない。 良い人ぶった下衆ほどたちの悪いものはない。そんな奴に限って『オレ様は良い人だ』なんて信じてるんだから!手のつけようもない。 昔の友人や、Facebookのお友達や、さまざまな関係の中で残念な関わり方の人もいれば、その関係の傍観者も多いわけで。気にしてくれる人もいれば、障りたくない人も 触られたくない人もいるわけで。 大好きな、大切な人だけの交流は心地よいけど、成長は促さないらしいので、関わった人、縁の有った人全てが、良くも悪くも運命だと受け入れ、成長しなさいということか。 かと言って、我慢の挙句に体調を崩すような関係は手遅れだとも思える。スパッと切るのも出来るもならそれにこしたことはないが、出来ないのなら勉強しなければということだ。 ダライ・ラマのアンガーコントロールは、瞑想ということらしい。 イライラの果てに胃カメラを飲むことになった。高い勉強代だ。明日から瞑想しよっと。きっと、乗り越えられないものはない~。日々精進!!しま~す。。 < 前のページ次のページ >
|
カテゴリ
以前の記事
2012年 05月
2012年 04月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 お気に入りブログ
excite以外のブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
ファン
|