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2010年 11月 14日 ( 1 )

責任の所在

わたしの気持ちは私の責任と思うと、あきらめもつくし、腹も立たない。と時々思う。

自身の感情は『思う。感じる』ことから出来上がる。言うまでもなく『思う。感じる』は動詞だ。自動詞。自分自身で変えていけるもの。(かな?)

感覚的にものを言ったあとで、しまったと思うことは多々ある。感覚的だと誤解も受けやすい。取る方も感覚的にとるから。でも日本語だと論理的に説明することもできるし、明言を避けたい時は感覚的にものを言えばすむ。汲み取ってね。と願いながら。。。

英語で感覚的に表現ってなんだろう。
若者がいつも説明時につかう”YOU KNOW...."(ほら、わかるでしょ?)とか、Like...(~みたいな)かな。
英語って論理的な言語だとつくづく思う。きちんと言わなければ伝わらないし。論理的に英語で人を諭せるほど、或いは議論できるほどの力がないと思うし、かと言って詩的にあるいは感覚的に表現する術も持っていないと思う。私自身は今でもコミュニケーションで躓いているのは否めない。でも、そのコミュニケーションが重大か、重大でないかの結果があるだけ。
そう考えると、人の命に関わる医療関係の人のVISAの取得にIELSの7レベルが課せられているのは最もだと思う。常に重大な結果を引き起こす。国際会議で通訳がつくのも当たり前。通訳になるのにソウトウな能力を必要とされるのも当たりまえ。。

多分、日本語も同じくで、しっかり日本語でコミュニケーションが取れたとしても、そのコミュニケーションが重大か、重大でないか結果があるだけ。
そしてそこから受ける、良い感情か、良くない感情かは私が選んでる。おそらく。
恐らく、は文字通り、恐れをなして考えてる、『こう思われたら嫌だな』と。
それだから、一言、ごめんね。で、断れば済むものを出来るか出来ないか考えて、断る時に労力を使う。心も疲れて心労だ。

日頃から、できることはやろうと思うし、出来ないことは出来ないと言おうと思うけど。出来ると思って引き受けてできない時に罪悪感。もう、結構、年の功で、さらっと方向転換して『ごめんね、やっぱりダメだった』って言えるようになったけど。。

出来る、出来ない、断る、断らないで反応的になることは自分の責任だということだ。

出来ても出来なくても、断っても断らなくても、思いやりで行動すれば自分自身にも折り合いがつく。利用されたとか。使われてるとか。してやったのにとか。そういう言葉と出会わないで済むと思う。
これって自己満足なのかもしれないけど。自分の気持ちの責任は自分にありだから。それもOKなんだな。

無理にじゃなくて自然に、心地よい言葉を選んでいけるといいなと思う、今日この頃・・
by sonnenblumensan | 2010-11-14 21:30 | 徒然